先日、「灘高校から東大理科Ⅲ類に3人の息子を入学させた女性」についての記事がありました。
「受験戦争を勝ち抜かせるためには恋愛は無駄」という過激ともとれる発言で世間をにぎわせていましたね。この件について、私の口から賛成・反対の論を述べるつもりはありませんが、一つの意見として、子供を「賢く」育てるということについての意見は述べておきたいと思います。
<賢いの定義>
よく多くの親御さんは「子供を賢くしたい」と言い、幼少のころから(場合によってはお腹の中にいる時から!!)英語やら文字やら、フラッシュカードやら、さまざまな「知育」をほどこそうとします。
もちろんそれはそれとして一定の効果はあるのかもしれません。しかし、そんな親御さんに聞きたいのが「賢いとはどういうことですか?」という質問です。
おそらく「頭のいい高校に入り、頭のいい大学に入り、一流の会社に入れるということ」に近い回答が得られるのではないでしょうか?そうなれれば、人生は楽しいものになるかもしれませんね。そこは否定しません。
しかし、その一方で問題が生じるケースも多々あるようです。
例えば、勉強という一つの解答があるものに勤しんできて、それに関しては相当なエキスパートになった東大生が、卒業後に就職した会社で思うように営業成績が上げられず、「東大卒のクセに」というような視線で周囲から見られるというものです。
恋愛も仕事(特に対人関係構築能力を要するもの)も、「答えは1つ」なものではありません。この例のようになった東大卒の人は、果たして幸せと言えるでしょうか?恋愛で「今まで勉強ばかりしてきたから異性と会話が続かない」となった高学歴の人が幸せと言えるでしょうか?
それは人づきあいという能力において「賢い」と言えるのでしょうか?
そういうケースがあることを考えると、「知育」だけが「賢い」への道のりではありませんよね。
<自由度の高さもある程度は必要>
開成高校といえば、都内随一の有名私立高校として知られていますね。
しかし、この学校は非常に自由な校風でイベントなどにも積極的に取り組む姿勢で知られています。それなのに、東大への合格者は非常に多くなっています。
開成中学の受験に合格した中学生のインタビューを見ても、「小学校4年までは学校が終わったら、外で好きなだけ遊んでいて・・・」という言葉がよく出てきます。
もちろんそれは「勉強しなくてもできる」ということではなく、「勉強をするときはエンジン全開で勉強に取り組み、遊ぶ時は勉強のことなど1%も考えずに全力で遊ぶ」というような「メリハリ」がしっかりしているということです。
小さいころから遊ぶことを禁じられて、勉強三昧の生活を強いられた場合に比べて、人格形成の幅も広がり対人関係構築能力も高まり、豊かな人間になるように思われます。
そう考えると、自由度の高さも必要と言えるのではないでしょうか?
もちろん、件の女性の息子さんたちのように「自分たちは勉強をさせられたという感じはしない。恋愛だって今すごくうまくいっている」というポジティブな評価をくだすケースも多々あるでしょうから、一概にどちらが良い・悪いという評価を下すことはできません。
<やはり大事なのは人間性>
どんなに頭が良くても、どんなに幅広い才能を持っていたとしても、人間としての分別がなかったらやはりそれはネガティブな評価の対象となります。
礼節を重んじて、人に対しての適切な対応ができない子供というのは、将来的にも限界が見えています。そういう意味では、やはり「人として」の根底の部分を磨いていくことに親として注力してあげることが一番最初にやるべきことなのではないでしょうか?
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2024/11/21 更新