乳児期、幼児期、学童期、青年期の経過をたどって人は大人になっていきます。
出産から成人として自立するまでの期間を親の側から見れば「子育て期」ということになるでしょう。この期間は途方もなく長い期間ということが言えます。つまり子育ては20年に及ぶ長期戦ともいえますので、親は時として疲れ果ててしまったり、心身のバランスを崩してしまうこともあります。
これは、日本の子育てはどこまでも子どもが中心で、子どもにたっぷり愛情を注ぐ、という方法と考えている人が多いからです。
そこで問題になるのが、子どもが何かを欲求した時、どこで「ノー」と言えばよいか、ということです。「ノーと言える日本人」という本がありましたが、これは政治家の経済に対する考えを著した本です。ここでは「相手の気持ちを理解できる子ども」「思いやりの心を持って、それを伝えることのできる子どもに育てるには」ということについて考えてみます。
つまり、子どもの欲求に対して親が「ダメ」と言えないと、子どもはどんな欲求でも叶えてもらえると信じてしまいます。更に成人に達するまで、いや達しても、親が傍らでその欲求に応えていると、自分の力で欲求が満たされたように錯覚し、わがままな子ども、自己中心的な子ども、他者の事を考えない大人に育ってしまいます。
大人になっても相手の気持ちを理解できない、何でも思い通りになると考える幼児的な思い込みの感覚を持っている大人を全能感、万能感と呼んでいます。 相手の立場に立ってものを考えられない人は共感する力の備わっていない人の事です。
人間らしい人に育てるということは、何を置いても自己欲求感を抑制して、人の話を注意深く聞く習慣をつけ、その上で、相手の心が理解できるように育てなければなりません。
他人の話を素直に聴くことのできる耳を持たせるには、親はどこかで子どもの欲求に対して「ノー」と言わなければなりません。
ではなぜそれができない親が多いのでしょう。
日本には「目の中に入れても痛くないほどかわいい」という言葉があります。
これは溺愛といいます。溺愛している人は子どもは自分の身体の一部と考えていますから、子どもの痛みは自分の痛みとなります。溺愛の親子関係には感情の共有はあっても「共感」はありません。親子間の共感は、親が他者として我が子に向き合う中から生まれます。
子どもと親で何事かをなす場合、たとえ遊びでも「約束」を決めてから取り組ませることです。それができなかったら親は子どもに「ダメ」と言わなければなりません。
「思いやり」とは身を持って学ばせることが大事なことです。
家の中でも母親は「お父さんに訊いてみて」というように話し、自分で考えさせ実行させます。反対に父親もまた「お母さんに訊いてみて」というように必ず他者を存在介入し、第三者の意見も考慮しながら実行させることです。
学校でも、社会でも、家庭でも、このように子どもが客観的に判断できるように、三つの考えを統合して思考訓練することによって「共感」の心が育ちます。 このことを教え、その上で他人はどう思うかを考えて話すことが「思いを上手に伝える」ことになります。
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2024/11/21 更新