今年の四月一日から「子ども・子育て支援新制度」が実施されている。これは「子育ての私事化」から「子育ての社会化」への移行を図る政策である。平成六年に政府は「少子化対策・子育て支援対策」として「エンゼルプラン」を実施した。
今回の新システムは、働く母親が仕事と家庭を両立できるように子育てに関わるあらゆるサービスを拡大し、働く母親の子育て支援を通して子どもを産んでもらいやすくし、少子化に歯止めをかけようとする政策である。
一方今年の一月から「新オレンジプラン」が始まった。認知症の方と高齢者の方を支援する考え方で、高齢者の方が住み慣れた地域の環境で自分らしく暮らしを続けることができる社会を実現するという目標がある。
どちらも「少子化、超高齢化社会対策」として打ち出された政策であるが、言ってみれば「子育ての外注化、コンビニ化」であり「高齢者の入居拘束介護」から「在宅地域介護」への転換なのである。
「携帯電話」のタイトルにもかかわらず、なぜ少子高齢化の話なのかと疑問を持たれたであろう。
それはもう一つ「非婚化、晩婚化、晩産化」という問題があるからである。じつはこちらの方がより深刻な問題を秘めている。このままこの状況が解消されなければ、日本人は消滅するしかないのである。それほど深刻なのである。
人は孤立しては生きてはいけない。誰かと繋がっていたい、一緒にいないと安心できず、不安であるという気持ちを持っている。これが結婚であり、出産であり、親子家族の絆なのである。
ここに便利な携帯電話が入ってきた。朝から晩まで、夜中も携帯電話を見、話したりしている。それによって「繋がっている」と錯覚をする。働く場所や仕事に愛着を持つことで生き甲斐となる。熱中することで充実感を持つ。すると結婚も、出産も、子育ても、老父母の介護も面倒になる。
その上、面倒だからと働きもせず、結婚もしようとしない。携帯電話で話をし、結婚または一緒にいると錯覚する擬装結婚が生じてしまう。
夫婦が夫の単身赴任中、携帯で連絡を取り合い、固く繋がっているものと思っていたが、夫は別の女性と交際をしたり、夫でも妻でも別の男女と関係性を持っていることが判明すると、途端に「裏切られた」「あれだけ連絡を取り合っていたのに」という怨念が生じ凄惨な事件になったりする。
なまじ携帯電話があるからで、昔のように遠く離れていて通信手段がない場合は、「お互い信じ合っていた」で済むところである。
今や日本は「繋がりすぎ社会」である。スマホでのラインやメールなどで過剰な接続が可能で、むしろコミュニケーションを空疎化にし、形骸化させすぎていると言える。
老老介護や独居老人のところには誰も訪ねて行かない。高齢者の父母には連絡せず施策に棄老する。子どもには携帯を持たせてあるからと高を括っている。
その結果独居老人、高齢者夫婦の死亡発見の遅れ、子どもの誘拐殺人放置事件がなんと多い事か。この間「携帯またはスマホで親は誰かと夢中になって連絡を取っていた」という事態があまりに多すぎる。
社会の中で孤立する人が増える一方で繋がりすぎることも心配である。矛盾した現象ではない。個であることと、人の輪をつくること。二つのことを各自の中で調和させることが大切である。
若い方々の中では、SNSや出会い系サイトで知り合い、繋がり合っていると思い、実際に会った途端に殺人行為に及ぶことも数多ある。ソーシャルネットワークも良いが「ほどほど」も必要であろう。
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