幸福な人生を歩みたい、と良く耳にする言葉がある。実は幸福の追求とは「人の生きていく営みそのもの」なのです。誰もが幸福を願っているが、「幸福感は一人ひとりで異なっており主観的なもの」なのです。
進路の選択とは「幸せな人生を送りたい」と願って「生きる道」を選ぶことです。しかし、そのような道は「どこかに転がっている」ものではありません。
「幸福を手に入れるために何をしているか、その時が幸福な時」と言えるのです。常に継続的に、流動的に、発展的に、自分の志望を明確化し、自己を深めながら目標を達成するのが進路なのです。
それではなぜ悩むのでしょう。それは親子で「進路への考え」が異なるからです。
①子どもは将来産業社会で働き、給与生活者になる。学校は親の願望や進路の実現に必要な学力をつけてくれればいい。
②いずれ高額所得者、高給与を獲得する身となって親の老後を保障してほしい。
③隣の子どもは我が子の敵、競争相手であるから、親も一緒に子どもの成績向上に尽くすのは当たり前だ。
④親の愛情は、我が子の利益と将来性を確保するためになんでもすることである。
⑤豊かな人間性よりも子どもをより高い交換価値のある成績を上げ、高偏差値校に入れたい。有名校に入学し、有名企業に入社してほしい。
これらが親が子どもに期待する進路観でありますが、これを全部否定することができますか。