大人も子どもも、これから先の時代、未来がどうなるかは具体的にはわかりません。それなのに大人は、自分の過去の経験、親から聞いた話に基づいて、子どもを叱咤激励します。子どもからすれば「分かったようなことを言って、結局やっていることは昔の古さじゃないか」と親をせせら笑うのです。
親も「戦争の残虐非道はもはやご免だよ。何と言おうと平和だよ。平和であるためには一生懸命勉強することだよ。私たちは勉強しようにもできなかったのだから。」と頭で考えた平和と勉強を標榜しながら、日々の平和が新鮮に創られ、実際的な心覚えを、先人から何一つ教えられていないのに、だから何につけてもハングリーとがむしゃらを強制します。「欲しがりません勝つまでは、甘えてならない合格まで」と子どもを激励します。
家庭の中では対話までも、自分が物を言うと、昔、耳にしたような言葉遣いと、差し障りが生じると問答無用、「黙らぬと許さぬぞ、やる気がないのなら出て行け」という言葉でケリを着けようとします。
対話なんていうものはなく、結局一方的な制圧になってしまう。そこで内心は「出て行っては困る」「親の本心ではないな」と子どもに見破られ、ついにはどちらも自立できなくなり、そうした親子喧嘩のようなやり取りが日常化し、親離れ子離れができなくなる「甘えの家族」となってしまうのです。
親離れ、子離れ、が簡単にできる魔法のような方法はありません。何しろどちらも未来が見えないし、時と共に世の中も、制度も変化するのですから、どちらも不安を持っているものです。
ただひとつ言えることは「自分は必要とされている存在だ」「自分のことを気にかけてくれている人がいる」ということを子どもが自覚することです。
更には、各自の役割は外から与えられる。という近世までの社会とは違うのが今の社会です。子どもはまだこれといった役割をもっていません。
しかし「自分は、自分を超える集団とつながっており、それらに支えられるとともに、それに何らかの寄与をしている」という正当な感覚と、実感できることの大切さを再認することが自立につながります。
これが「親離れ、子離れ」の最も大切な意識です。
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