教育[725]

子どもへの手助けと共依存 0歳~3歳の「生きる力」の育て方

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執筆者:せきぐち あき

ある程度子供が大きくなり、手がかかからなくなる事はお母さんにとってはありがたい事ですが、子供が成長するにつれ、今までは手伝ってあげなくては出来なかった事もだんだんと一人で出来るようになると、なんだか寂しく思ってしまう事もあるのではないでしょうか?

ですが子供が成長し、自分の足でしっかりと立ち、自立させて行く事が親の役目です。

子供にとって、いつでも絶対的な味方である親は、とても大切な存在です。

ですが幼児期に間違った関わり方をすると、子供が悪い方向へ甘えてしまう場合もあるのです。

ある30代の会社員の男性は、子供の時から母親に『本当にノロマでグータラで、あなたは何にも出来ないんだから』と言われ、大人になってからも口癖のように頻繁に言われていました。

実家暮らしのその男性は、確かに一人では朝も中々起きられず、仕事に遅刻しそうになる事も少なくありません。

その為、その母親は朝起こすのはもちろん、毎日のように男性を最寄の駅まで車で送って行きました。

それだけではなく、男性が帰宅途中の電車で居眠りをしてしまい最寄の駅を通り過ぎ、終点まで行ってしまった場合には、自宅から40キロも離れた終点の駅に母親が車で向かいに行く事も日常茶飯事でした。

ですがその母親は、いつも口をすっぱくして『お前は本当にダメなんだから。しっかりしなさいよ!』と注意をしているのです

ですが終点まで乗り過ごすことなんて毎週の事ですし、一向に直りません。

また結婚してからも、転居や子供に関する書類の提出なども母親から何度も電話で促されないと、妻に促されようが右から左で、自分では提出さえも出来ません。

どんなに重要な事であろうと、男性は一人で行動を起こす事が苦手で、母親から促されてやっと行動できるという程です。

その上、母親は、男性が毎週買っている週刊マンガ誌を発売日が一日早いという書店で購入しては、毎週発売日前日に車で一時間かけて新居まで届けに来るのです。もちろん妻や子供の都合もまるで無視です。

普通には考えずらい事ですが、周りの状況を無視してでも、どうしても息子に会いたい母親と、それを受け入れている親子関係が成り立っているのです。

結局男性は、仕事も数年で行かなくなり実質上クビとなり、自立しなくては成り立たない結婚生活からも逃げ、実家に帰り離婚に至ったのです。

ですが本人も母親も、そんな生活に疑問を抱く事はありません。

怖い事にこう言ったケースは少なくなく、今そう言った大人が増えているのです。

このような母と子供の関係を、『共依存』と言います。

『共依存』とは、字の通り互いの存在に強く依存してしまう事を言います。

親子関係だけではなく、夫婦や彼氏彼女などの関係でも成り立ちますが、今回は親離れ、子離れの出来ない親子の共依存関係についてをお話しします。

ではまず、なぜ大人になってからも親離れ出来ずに、一人では社会を生きて行けない大人になってしまうのでしょうか?

共依存の親子関係は、幼児期の関わり方が重要になってきます。

例にあげた男性の場合、小さな頃から母親に『本当にノロマでグータラで、あなたは何にも出来ないんだから』と【決めつけ】の言葉を言われて育ちました。その一方で母親は甲斐甲斐しく世話をやき、男性がなにか失敗をしそうになった場合には、失敗を経験する前に全て母親が手助けしてしまうのです。

幼児期に子供が自立して行くために重要なのが、意欲やる気好奇心の3つです。

その、意欲・やる気・好奇心の3つの心を育てるために必要なのが、【成功する事の喜びを感じる】【失敗を恥ずかしい事だと感じない】と言う事だと私は思います。

上記の男性のように、母親から決めつけの言葉を言われる事は、自信喪失につながり、意欲の低下、やる気の喪失になり、また失敗の経験を奪われる事により、小さなことでも打たれ弱くなり、すぐに挫折してしまう大人になってしまうのです。

それにより、

【自分はダメな人間で、母親がいないと何も出来ない】

【母親が自分を1番守ってくれる存在だ】

【母親はこんな自分をいつも気遣ってくれる大事な存在だ】

と子供は自然と思い込んでしまいますし、無意識の内に、

【ずっと手のかかる子供でいて欲しい】

【ずっと自分が世話をしていたい】

と思ってしまう母親の間に、強い依存心が芽生えてしまうのです。言ってしまえば、この決めつけの言葉と世話を必要以上にやく事で、親は無意識にでも、あえて子供を【ダメな人間】に育てているのです。

この関係を親の呪縛と感じながらも、大人になってからも必要以上に構ってくる親を無下に出来ないと深く悩む人もいれば、逆にそんな親子関係に満足してしまっている人もいます。

どちらにせよ、子供本人にとって社会で生きて行く事に良い影響が無いのは言うまでもありません。親が子供より先に死んでしまうのが一般的ですので、長い先の人生を考え、子供には【生きる力】を育てる必要があるのです。

ですがまだ小さい子供に自立させると言っても難しいですね。

親が、子供を自立させると言う事を意識するのではなく、子供が自分で自立が出来るような力を育てると言う事でが大切なのです。

ではどうやって小さな頃から【生きる力】を養えば良いのでしょうか?

0歳~1歳

この頃の赤ちゃんは、少し目を離すと何でも口にしてしまったり、テーブルによじ登り落ちてしまったりと、危ない事がたくさんあります。

大きな怪我をしてしまっては大変ですので、そこはもちろん充分に注意を払う必要がありますが、同じくらいの月齢の赤ちゃん同士で遊ぶ場合には、少しだけ【見守る】と言う事をしてみましょう。

私の幼児教室では、同じ月齢の子供が多くいる場合には、この【見守る】を実践してもらっています。

例えば、自分の子供が他の子のおもちゃを取ってしまう。他の子の服を引っ張ったり手や足をギュッと掴んでしまう。など、そんな場合に母親が先回りをし、直ぐに『お友達のだから取ってはダメだよ』『引っ張ったらダメだよ』とおもちゃやお友達を掴んだ手を離そうとします。

ですが、まだ小さな赤ちゃん同士の遊びの中で、大きな怪我をする事はまずありません。自然界の中でも、ライオンの子供達は兄弟とじゃれ合う事がとても大切で、遊びの中から噛んだら痛いなどと言う事を学び、また狩の仕方を学んで行きます。

ほとんどの人間は狩りとは無縁といえますが、他の赤ちゃんに興味を持ち、触ってみたいと思うのは本能であり、自然な事なのです。

もちろん自分の子が意地悪をしているとはお母さんも思っていないと思いますし、そんな事は分かってるわと言われるかもしれませんが、それでもし相手の子が泣いしまったらと、止めない事に気が引ける思いもあると思います。

ですが、出来ればそこは少しだけグッと我慢。逆に自分の子供がされている場合も然りです。

赤ちゃんは相手の表情などから感情を読み取る事に長けています。

相手が泣いていれば、嫌な事なのだと分かりますし、逆に自分がされれば嫌だと感じ、相手の気持ちを理解する良い機会になるのです。

まだ小さな赤ちゃんにお母さんが『ダメなのよ』と先回りして言葉で言って聞かすよりも、赤ちゃんが自分で経験し学んで行く方が、より相手の気持ちを読み取れるようになるのです。

気になるようであれば、少し見守った後、『お友達に返そうね。ごめんね』と最後にお母さんが言えば良いのです。 子供はちゃんとそんなお母さんもちゃんと見ています。

1歳~2歳

段々と動き回れるようになってくると、お母さんもより目が離せなくなって来ますね。

スーパーで目を離せば走り出す、商品を手に取って落としてしまう、道路に走り出してしまいそうになるなど、そんな事も珍しくありません。人に迷惑をかける事や、危険な事はきちんと目を見て言い聞かせる事が必要です。

ですが危険な場所でない公園などでは、子供が走りたいだけ思いっきり走らせましょう。大きな怪我がないように注意は払いつつも、走って転ぶ事や、小さな段差から落ちて頭をぶつける事も子供にとって良い経験です。

また転んだりどこかにぶつけたりして子供が泣いた場合に、お母さんが『ごめんね~!』と子供に一生懸命謝っている光景を見かけますが、謝ったりする事はやめましょう。

おそらく(しっかり見ていなくてごめんね)と言う意味だと思いますが、転ぶ事はお母さんのせいでもありませんし、子供はお母さんが悲しそうな顔をして謝っていれば、自分が転ぶ事が大好きなお母さんを悲しませる事だと思い、走る事自体をしたいと思わなくなる場合もあるのです。

ですので転んで子供が泣いていたら、『大丈夫?痛かったね。』と声をかけてあげれば良いのです。そして子供が自分で立ち上がったらたくさん褒めてあげて下さい。

誰かが褒めてくれれば、子供は成功した事(立ち上がる事)に喜びを感じ、また失敗する事(転ぶ事)に恥ずかしいと言う思いを持たなくなるのです。

また、この頃になると指先もだんだんと器用に動かせるようになってきますので、たくさん指を動かす遊びをさせてください。

ただ無理にやらせようとすると、逆にやる気を削いでしまいますので、子供が興味を持った事を一緒に楽しんでください。

おすすめなのはシール貼りです。ただシールを台紙からはがし、違う紙に貼る。と言うだけのものですが、指をたくさん動かす事で脳の発達にも良い影響がありますし、指がまだ上手に動かなくっても簡単に出来ます。

でもまだシールを上手に剥がせない。剥がせても指にくっついたシールをうまく台紙に貼れない。と言う場合もあるかと思いますが、例えば一指し指を立てた一本指が出来るようになれば、お母さんが剥がしたシールを貼る方の紙の表面近くで持ち、そこを子供に一本指で押してもらえば貼る事が出来るのです。

全部をやらせるのは無理でも、出来る事だけをさせる事で、充分子供は成功した喜びを感じる事が出来るのです。

私の教室でも、工作の時間に出来れば赤ちゃんと一緒にシールをはってくださいね。と言っても、『まだ出来ないから』とお母さんが一人で工作を完成させてしまう事が良くあります。

でも時間はかかってでも良いので、出来るようにサポートしながらさせてあげる事が大事です。

上手に出来る出来ないは関係なく、出来る事が嬉しい、出来ない事が恥ずかしいことじゃないと感じる事が大切な事なのです。

お母さんが出来ないと思う事は、子供は決して出来るようにはなりません。

一緒にチャレンジする姿勢と、小さな事でも出来た時の喜びを感じる事が、子供のやる気を育てるのです。

2歳~3歳

2歳を過ぎると、だんだんと公園にあるロープを使って昇るようなアスレチックなどに興味を持ったり、プレイルームでは高い段差や、ボルダリングのような突起のある壁などを見つけると、出来なくても興味を持って挑戦したりします。

私の子供が2歳の頃、室内の施設にあるアスレチックジムでよく遊んでいました。

まだ高い段差が登れなかったり、ジムの入り口にある回転丸太(体で乗っかったまま、回転に身をゆだねて、そのまま頭を下にして手で着地すると越えやすい)を越えられずに、手を上手く前に出せずに、身一つで回転し顔で着地したりしていました。

転んでもぶつけてもその遊びが大好きだったので、良く私も狭いジムに一緒に入り、段差はお尻を支えてあげたり、足を置く位置などを支持してあげて、出来ないながらにも、一日に何度も何度も(私は毎回、もう勘弁して~と思う程でしたが、、、)ジムの入り口から出口までをひたすら登ったり下りたり回転したりと、楽しそうに遊んでいました。

他にも何人か子供がいる場合には、(大きな私が中にいると邪魔な事もあり…)子供は一人で遊んでいた時の話です。

たいてい不思議な事に、数分で中にいる子供たちに一体感が生まれて、少し大きいお兄ちゃんやお姉ちゃんがリーダーとなり、小さな子たちが登れない段差を、抱っこしたり、上から引き上げたりしてくれて、みんなで一緒に出口まで進む光景を良く目にしていました。

たまに優しいお姉ちゃんに『この子段差で転んで泣いっちゃった~』と横で見ている私の所へ連れて来られる事もありましたが、息子は少し大きなお兄ちゃんやお姉ちゃんと遊ぶ事が本当に嬉しそうであり、楽しそうでした。

そしてある日、気が付けばジムの登れなかった段差も登れるようになり、回転丸太の入り口を難なくクリアーし、入り口から出口まで一人で出て来れるようになっていたのです。

親ばかのようですが、私は素直に『わぁすごい!!』と喜んでいたのですが、良く見ると、息子より小さな男の子が段差を登ろうとしてるのを、息子が段差に先に上り、そこから手を引っ張って引き上げようとしていました。

今まで自分がおにいちゃんやおねえちゃんにされていたのと同じようにです。

と言っても2歳の腕力では、まだまだ引き上げられるほどの力はありませんが、一度下に降りてみては抱えようとしてみたりと、息子なりに四苦八苦しながらもその小さな男の子と一緒に登ろうと一生懸命努力していました。

結局は登れず、私が呼ばれ少しの手助けをしたのですが、最後は三人で出口をでて、三人で拍手とハイタッチをして喜びました。

子供にとって『誰かと一緒に成し遂げたい』と言う思いが生まれる事は、とても大切な事です。

もし、危ない、まだ早いからと、アスレチックジムで遊ばせなかったら、息子のそんな一面を見る事が出来なかったのだなと思うと、それはとてももったいない事なのだと感じました。

それくらい子供にとって【自分が誰かに助けられ成功する事】の喜び、【誰かを助けてでも成し遂げたい】と言う好奇心とやる気を感じ持つ事は大切な事なのです。

最後に

子供をつい甘やかしてしまったり、少し過保護になってしまったり、どんなお母さんでも少なからずしてしまう事だと思います。

可愛い子供ですので、その気持ちが生まれるのは当たり前ですが、無理に自立させるのではなく、自立する力を養う事でなら、実践しやすいのではないでしょうか。

大事な子供だからこそ、社会に出てから困らないよう、【生きる力】を付けてあげたいですね。

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