いじめられている場面に出会った場合「いじめられていたのか」、「君がいじめていたね」と言って「はい、そうです」と応える人はなかなかいません。
そこで、「もしかしたらいじめられていたの?」、「もしもそうならば言ってみて」と話しても、「言ったら先生にチクられそうだ、言ったら仕打ちされそうだ」と考えてしまい、これでもなかなか答えてくれません。
或いは、「親や教師に言っても解決しそうにない」と思っているかもしれません。
そこで新聞やテレビ等で報道されていることを話題にします。「学校での生活ではどんなことがあるの?」や、「私も子どもの頃に今見かけたようなことがあってね…」などと遠まわしに話し出してみます。どちらも「見られてしまった」という負い目の気持ちを持っているはずです。
こうしてその場に入り込むことができたら、次第に「先生はどんな先生?」や、「学校では毎日どんな気持ち?」などと誘い込み、話に乗ってきたところで「そういう先生じゃイヤだね」や、「学校も面白くないね」などと話し、「私は子どもの頃いじめられていてね」と言って、親や教師の姿勢や人間像などを聞き出せれば、後の対応はどうにでもなります。
そこで本題に入り、いじめの場面に出会った場合、「さっきは何をして遊んでいたの?」や、「学校ではいじめはない?」、「テレビニュースで聴いたいじめは悲しい事件だったね」と話し、「いじめ事件に関する意見」を、顔色や素振りを観察します。
どの質問からでも、語り口調や感情、苦痛や義憤などの表出を見て取れればその瞬間質問をやめても良い。後に学校に赴きこのことを伝えることにしましょう。
更に踏み込めそうならば「ところであなたは大丈夫?いじめられたりしていなかった?」と問いながら反応を見て、「もしそうだったら心配しないで家に帰ってお母さんに話してごらん。先生にでもいい。君の味方になってくれるよ」と伝えることで、「うん、そうだね」と言うか、「だめだよ、先生だってお母さんだって話してもダメさ」と言うかを確認することにより、親や教師の人間としての生きる姿勢や、正義感や良識を持っているかを感じ取ることができます。
「だめだよ」と応答したのであれば、「それでは私が味方になってあげるよ。しっかりと守ってあげるから」と言ってみます。なんとなく元気がなく寂しそうにしていたら、その子が親や先生を信頼しておらず、報復などを恐れている可能性があるのでよく観察します。
ここから先は「それでは私が君の家や学校まで送ってあげるからお母さんや先生に話してごらん」と後押ししてあげます。ここで話したのであれば、ほぼ解決に向かえると考えてもよいでしょう。
一度の試みが失敗に終わっても「親や教師の取り越し苦労であったか、子どもが事実を打ち明けなかったか」を後で確認しましょう。
いずれは学校でも家庭でも子どもに真実を聞き出そうとするでしょう。そうなれば決して無駄にはならないでしょう。
子どもは親の本心を知ることができ、学校や教師の人間味のある態度や愛情に安心感や信頼感を持ち、いずれは真実を話すことになるでしょう。
大切なことは一度きりの試みで、子どもが「いじめられていない」と答えたからと言って、安心しきることのないよう気配りや見守りという「愛の目を絶えずもち続けること」が何よりも子どもが親を信頼することに繋がります。そうすれば「いじめ」も案外容易に見えてくるものです。
努力は決して無駄になりません。子どもは親の態度や学校の対応を見ています。いずれは救いの手を求めてやってきます。
そうした機会がやってきたら誠心誠意で対応することです。単に肉眼で見るのではなく、心の目で見るように心がけることです。
こうした対応の方法を地域や町内会の人々全員が心得てもらえるように学校は努力することです。
対策室を設け、マニュアルを作ったからで済ますことは断じてしてはなりません。
また大人は決して見て見ぬふりをしてはならないと肝に銘じるべきことでしょう。
そうしなければ20万件のいじめは解決されないでしょう。