ヒトが行動を起こす理由は、その理由の根源までさかのぼるとつぎの2つにまとめられます。
「不快なモノを避ける」
「快楽を求める」
たとえば、部屋が汚いとヒトは「不快」と感じます。だから掃除をするのですが、それでも掃除をしないヒトは、部屋が汚いよりも掃除をすること自体を「不快」と感じるので掃除をしないのです。とはいうものの、自分の身の危険を感じるほどの悪臭がしてくればさすがに掃除をし始めるはずです。
ボランティアなど一見「他人のため」の行動でも、その行動の根源には「ありがとう」と言われたり、感謝される、という快感があります。他人に認められる快感がゴールにあるから辛いことも耐えられるのです。
だから、「他人のため」と思ってしたことを「おせっかい」だと予想外の批判をされると、そのゴールの快感を断ち切られた悔しさで感情的になるヒトが多いのは当然のことです。
「不快なモノを避ける」「快楽を求める」のは、ヒトだけでなく、生きているものすべての習性、つまり「生き残る」ために不可欠な行動です。
ヒトが「学習」するのも同じ理由であると考えます。この場合、「学習」をしなかった結果の不快なゴールを避ける、というより、「学習」の先にある快感のゴールイメージこそが「やる気」の原動力になります。
「勉強してほめられる」という快感もあります。だから「ほめて伸ばす」という指導方法が生まれました。
たしかにほめられると快感を感じることはできますが、これはほめる人がいないと成り立ちません。しかも「ほめる」は、一時的な効果しかもたらすことはできず、口先だけのほめ言葉は逆に「努力のハードルを下げる」こともあります。
本当の「やる気」は自発的で、継続的でなくてはなりません。
「100点とったら好きなものを買ってあげる」は最悪です。「学習」はテストのためだけにやるのではなく、まして何かを買ってもらうためにやるものではないからです。
「ごほうび」の快感も一時的で、例えは悪いのですが麻薬と同じ。前回と同じくらいの快感を得るには、前回と同じレベルの「ごほうび」では満足できず、「ごほうび」のレベルを上げ続けなければ効果がありません。