小学生の頃に箪笥の上に置いてあった親の財布からお金を取ったことはなかっただろうか。或いは中学生の頃に万引きしたことはないであろうか。或いは高校生の頃に電車に乗って、いわゆるキセル乗車などをしたことはないであろうか。
ここに挙げた行為はもちろん社会的にも、人倫的にも許される行為ではないでしょう。しかし、これに似た行為を「ついしてしまったり」「ほんの出来心でしてしまったり」した覚えはないだろうか。思い当たることがないでもないでしょう。これは私の過去の思い出であり、今でも内心忸怩たる思いが残っている。
警察や駅長室に呼ばれた親が平身低頭している姿を今でも思い出すからである。家に帰っても両親は畑仕事が忙しかったためか何も言わなかった。それがとても気になり、何日かが過ぎるうちに「とんでもないことをしてしまった」と良心に苛まれ、そのお店のおばさんに謝罪に行った事を今でも覚えている。
両親が警察に引き取りに来て「あんたって子は、なんて悪い子なの、お母さんはそんな子に産んだ覚えはないわ」と言って叱られ、家に帰ると父親まで加わって「お前はなんて悪い奴なんだ。泥棒みたいに。わしの立場も考えてみろ」と怒鳴られる。子どもの頃は怖くて頑なに口をつぐんでしまうが、中高生になるとかえって親に反抗心を持ってしまうものです。
しかし子どもはほんの出来心で、親が言うほど大袈裟なものなんだと思っておらず、好奇心の塊のようなものであるが、中高生になれば犯罪としての認識と責任の重さを感じなければならないでしょう。幼児がママゴトの材料に、隣のおばさんの大事に育てた花を採って切り刻んでしまっても平気な顔をしているのは、そこに善悪が伴わないからなのです。
万引きもこれと大同小異で、悪いことだとは感じていても、大人が考えるほど重大には思っていない。しかし、高校生の場合はそういう意識では済まない犯罪行為と認識できなければならないでしょう。
子どもが万引きをしたら警察に行った母は「お父さんにはいろいろ言わないのよ、ただごめんなさいと謝るのよ。そうすれば叱られないから」と子どもに言い含めるのです。帰宅して母親に言われたように素直に謝ると父親は「若い頃は大した考えもなくつい出来心で手を出してしまうこともある。済んだことだから、お前が大人になって同じような子どもを見たら自分の経験を活かして、その子をよく理解してあげることだ。その上で諭す。そういうことができるようになれば今度の失敗も役に立ち無駄にはならない。二度三度としてはならない」と話すことです。
子どもには親の心の温もりが伝わり、善意の判断もつき、責任感も芽生えるものです。頭ごなしに「お前は泥棒か。よくも親に恥をかかせてくれたな」などと言ってしまうと、親の心の冷たさが子どもに伝わり、子どもは素直になれず、そのために再び繰り返してしまうのです。また親が心の中で「大したことではない」と思って曖昧にしてしまったりすると、子どもは親に叱られないんだ、とたかをくくって再び繰り返すようになってしまいます。或いは更に悪に走ってしまいかねません。
子どもが叱られないと親をみくびっているような時は、その時は激しく強く叱り、反対に叱られるなと覚悟しているようであったなら叱らずに温かく包んであげると、子どもはこの意外性のために素直に納得するのです。私の場合は親の忙しさを目の当たりにし、自分の行為に恥ずかしさを覚えたからでした。
子どもの非を責める前に「親が悪かった」と自分のいたらないことを省みることで、子どもも自分の心を見つめることを覚え、親を信頼し、善悪の判断ができるようになり、責任を持ち、責任を負うことの大切さを身に付けていくようになるのです。
親が子どもを思いやる優しい心を持って対すれば、叱ることの美しい「言葉」を理解し、包み込んでくれる温かい「ひびき」が自然と生まれるのです。
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