[家庭のこと]よその家庭に介入するのは難しいことなのか

よその家庭に介入するのは難しいことなのか

2016/07/05

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「いじめを苦にした自殺」や「親からの子どもへの暴力行為、虐待」は日増しに増加しているように思えてなりません。

家庭教育支援にしても、児童相談所支援にしても、難しい問題があるためでしょう。

家庭教育、児童相談所、などが抱えている問題は「家庭に介入したり、家庭内の問題のどこまで踏み込めるか」とか「子供を守ることをどのようにすればよいのか」とか「親を指導したり、支援するとはどのようにすればよいのか」ということに対する明確な基準や方法が見出せないからです。

現在施行されている児童福祉法でも、こうしたことに対して、明確な運用基準はなく、児童相談所職員や家庭教育支援チームも、求められてはいますが、明確な基準や適切な対処法がないために試行錯誤の毎日のようです。

そこで自民党厚生労働部会は、児童相談所の業務に、虐待などで児童養護施設や乳児院で暮らしている子どもたちに養子縁組をできるようにして、里子だけでなく、子として育ててもらうようにするよう検討し始めたということでした。

いじめも虐待も親や大人や地域の人たちが、いじめ行為や親の虐待行為を早期に発見し得ないためでしょう。「いじめ」については、小学生でも中学生でも善悪の判断は一応は持っていることでしょう。

悪いことと知りつつ、いけないと思いつつも悪いことをしている。学校や教師の目の届かないところでいじめの行為を行っている。虐待も同じです。家の外では虐待はしない。よそ目には仲の良い親子であるようなそぶりをしている。しかし、どちらもだれかが目撃している人がいるはずです。

そうであるにもかかわらず死に至ってしまってから、報道陣のインタビューなどでは、たびたび見た、とか、たびたび泣いている声が聞こえた、と語っています。それでは、どうしてそのときに学校や児童保護施設や警察所に通報してくれなかったのでしょう。

目撃していながら通報しないのは「チクリと思われたくない」「仕返しが怖い」と考えてしまうからでしょう。「いじめ」の場合はいじめている者があらかじめ、親や先生に知られないように、周囲の者を「チクらない」ように威しておくという卑劣な行動をしておく場合が多いようです。

親の子どもへの虐待は、どんな人か分からないから近づかないようにしよう。虐待を受けている子どもを見かけても「関わらないようにしておこう」というこれもわが身だけのことを考え、子どもへの関心を持たないようにしている。子どもは社会の宝です。地域の宝です。わが子も近所の子もみんな同じように可愛いと思う。そうした無償の愛情を持っていたら放っておけないはずです。

無条件に子どもを可愛いと思ったら、「どこまで関わったらよいか分からないから」などと言ってはいられないはずです。

「わが子を可愛いと思わない親はいない」「どこの子どももみんなかわいい」と言うが、はたして本当に「わが子」を「地域の子ども」を可愛がっているのでしょうか。

すべての親が、すべての機関が「真に子どもを愛していれば」登校拒否も、家庭内暴力も、校内暴力も、いじめも、虐待も、自殺も、非行も、これほどまでに増えることはないのではないでしょうか。

真に「愛するということ」は、その存在自体を無条件に肯定することです。そうして愛すれば基準や、よその家庭内のことであるから、などと言わないはずです。

人間は誰もが自分は可愛い。だから人様とはかかわらない。こうした個人主義、いや利己主義を捨てなければ「いじめ」はなくならないし、「いじめを苦にした自殺」まして「親からの暴行虐待によって少年が自殺をする」という、これほど痛ましい事件はなくならないでしょう。傍観者的思考をやめて、誰もがどんな子どもでも可愛いと思いたいですね。

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